チェンバロハウス通信

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2007年 12月 30日

音楽の哲学(その2)

 日本人が西洋音楽を学ぶということは、西洋人が能や歌舞伎を学ぶのに似ている。当然、多くの障害がある。それらの障害を大雑把にいうと、①身体のつくりや所作の違い、②言語の特性の違い、③哲学(世界観)の違いである。これらは乗り越えがたいが、互いの立場を想像することは可能である。
 しかしながら、日本では「和魂洋才ではいけない」でもとりあげたとおり、本質的な部分(魂)を排除して、表面的な結果のみをとりいれようとする態度が、無意識的あるいは意識的にも強い。
 なぜなら「相手の立場を想像する」ということは、自分自身の根本的な変化につながるからである。日本人は「日本人であること」にこだわる人が多い。外国との比較が問題になるとき、「わたしたち日本人は」と言ったり書いたりする人が多いことにもそれは端的に現れている。日本人の日本人性を規定している哲学は無意識的なものである。表面的には変幻自在であるが、核の部分は無意識的であるだけに頑として変らない。もっと言うと排他的である。
 西洋音楽は、「西洋」とわざわざいうのが不自然なほど日本人にとって身近な存在になっている。それにもかかわらずその本質が理解されることは少なく、日本人の実践する西洋音楽は「どこか違う」し、それを鑑賞するポイントも「どこか違う」。これまでは、「日本人が西洋音楽に接してそれほど間がないのだから、理解がおよばないのは仕方がない」という人も多かったが、「理解がおよばない」というよりむしろ、かなり無意識的ではあるが「理解したくない」という面が強いのではないかと、私には思える。
 しかし、物質的な側面では国際化が既成事実である世界で、精神面において排他的でいることは危険である。勇気を奮って、自己変革を恐れずに、他文化の魂を理解しようと努める必要がある。                                              
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by detousbiens | 2007-12-30 09:57 | 音楽の哲学
2007年 12月 11日

音楽の哲学(その1)

 以下の文章は、ホームページ用に書きかけたものであるが、完成には時間がかかると思うので、少しずつこのブログにも載せておいて、批評をあおぎたい。

 日本の音楽に哲学がない、とはよく聞く嘆きである。
 音楽の哲学とは、音楽の本質を問うことである。
 音楽教育や音楽療法において、それは必要なことである。にもかかわらず、この分野に対する懐疑心も強い。

 真の音楽家は、音楽の現場においてのみ、音楽の本質が現れることを知っている。それゆえ、理論的考察によって音楽の本質が明らかになるという考えに懐疑的になるのは当然である。
 一方で、哲学の側からみると、まずプロに匹敵する音楽の素養をもった哲学者がまれである。その上、近代哲学の枠組みのなかでは「音楽の本質とは何か」に答えることは難しい。近代哲学は「疑えるものは疑ってかかる」という批判的精神のゆえに、五感、および論理的思考を超えたものごとに対処するのが難しい。
 ところが、音楽の才能に恵まれた人にとって音楽の創造の過程はかなり無意識的なものである。「私が作曲(演奏)するのではなく、私を通して何ものかが作曲(演奏)するのである」と多くの音楽家が言う。しかも、(少なくとも顕在的には)音楽の才能はすべての人に平等にめぐまれているわけではないのが事実で、一般的な五感、論理的思考をもって音楽創造の過程を推し量るのは、泳いだことがない人が泳ぎの本質を考察するのと変らない。
 それゆえ、「音楽の哲学」という探求は、五感、理性を超えたものとならざるを得ない。
 一方、音楽家の側から出される理論的考察に対する懐疑は認めざるを得ない。音楽の本質は体験するしかない。単なる理論的考察は、アメリカに行ったことがなくて、アメリカ大陸が存在するかどうかを問うようなものである。
 それにもかかわらず、音楽教育や音楽療法において「音楽の哲学」は欠かせない。そこで、「音楽の哲学」という探求は、登りきったときには捨てるはしごのようなものだと考えるとよいと思う。それゆえ、わたしの「音楽の哲学」は理論書というよりはマニュアルのような体裁をとる。
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by detousbiens | 2007-12-11 12:23 | 音楽の哲学
2007年 12月 08日

シュトックハウゼンの死を悼む

 2007年12月5日、シュトックハウゼンが亡くなったことを、シュトックハウゼン財団からのメールで知った。

 シュトックハウゼンは、死がすべての終わりではなく、いわば魂の帰郷であることを「信じている」人ではなく、「知っている」人だった。シュトックハウゼンの周囲の人々もその思いは共有していたと思う。財団からのメールでも、「シュトックハウゼンは常々、≪神が私に命を与えた、そして故郷へ呼ぶのだ≫と語っていた」とある。だから、絶望的な気持ちになることはないのだが、それでも、同じ時代を生きる人間としてお会いすることがもうないことはつらい。

 メールに添付された文章(シュトックハウゼンのHPからも入手できる)の扉に

私の生涯は極端に一面的なものだ、スコア、録音、映像、著作といった作品がすべてだ。それが音楽に形作られた私の精神であり、私の魂のさまざまな瞬間からなる音の宇宙である。(2007年9月25日)

とあった。シュトックハウゼンは勤勉な作曲家であった。少年時代を戦争に翻弄され、16歳でほとんど孤児として終戦を迎えた。働きながら勉強して高校に編入、さらに地元の音楽大学に進んだ。シェーンベルクら戦前の音楽の先端にふれたのは20歳を過ぎてからである。その分、勉強できるということがうれしくてたまらなかったという。「ほかの作曲家は作曲して2時間もするとコーヒーブレイクをとって、その休憩がうれしくてたまらないらしいけど、自分は事情が許すなら一日中でも作曲していたい。音楽家になるぐらいなのに、仕事より休憩が楽しいという感覚がわからない。」みたいなこともどこかで読んだ。残された仕事の質、量を考えると頷ける。

 添付文章の後半に「シュトックハウゼンは、人が神に耳を傾け、神がその子達の声を聴くように、天界の音楽を人間へ、人間の音楽を天界の存在たちへもたらすために生きてきた。」とある。ヨーロッパ音楽の出発となった中世には、「地上の音楽は天界の音楽の反映である」と教えられていた。バッハ以後のクラシック音楽の世界ではあまりそういうことは表立って言われなくなった。その流れにさからってシュトックハウゼンは歩み続けた。

 最後に、今年の夏のシュトックハウゼン講習会のサイン帳に書き記したことを再録する。

 シュトックハウゼン、あなたは普遍への道を示してくれました。たいへんありがとう。
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by detousbiens | 2007-12-08 16:00 | シュトックハウゼン