チェンバロハウス通信

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2015年 10月 12日

中川岳チェンバロリサイタル於フェニックスホール

 2015年10月7日(水)、フェニックスホールで行われた中川岳チェンバロリサイタルを聴きに行った。中川さんは現在東大教養学部で哲学を専攻する学生さんだが、昨年(2014年)の国際古楽コンクール〈山梨〉で一位を獲得して古楽界の話題の人となった。音楽大学の大学院を出て留学しているような演奏家の卵たちの登竜門であり、しかも長年一位が出なかったコンクールで、一般大学の学部生が久々の一位を獲得した、さらにその人はチェンバロについては全くの独学で楽器すらお持ちでない(クラヴィコードで練習されているとのこと)と聞いて、多くの人が驚いた。今回はその中川さんの大阪でのデビューリサイタルとなる。
 1曲目はルイ・クープランの組曲ヘ長調。演奏会全体の始まりでもあるプレリュードは、リズムが明示されていないプレリュード・ノン・ムジュレだが、譜読みの精確さに感嘆。「何となくこんな感じ」という音が一つもなく、すべての音の意味がはっきりわかる演奏。こう書くと当たり前のようだが、かなり弾ける人でも細かい音符の意味や想定されているリズムを見過ごしていることが多い。プレリュードに続いて、アルマンド、クラント、サラバンド、ジク、シャコンヌと舞曲が正確なリズムと的確なキャラクターで弾きわけられていったが、終曲の「ブランクロシェ氏のトンボー」での瞑想的な音色は、それまでの舞曲のための音色とは別世界の響きで印象深かった。
 ルイ・クープランに続いて、同じ出来事(リュート奏者のブランクロシェ氏の転落死)を題材とするフローベルガーの「ブランクロシェ氏の死に寄せるトンボー」。ルイ・クープランの曲とは対照的に劇的な演奏で、この日の演目の中でも白眉の出来であったと思う。
 ムッファトのパッサカリアとシャコンヌではヴィルトゥオジタ(名人芸)を見せてくれた。もっとも名人芸といっても見せびらかしではなく、無駄のない動作の美しさの探求としての名人芸だ。パッサカリアとシャコンヌのキャラクターの描き分けも的確。
プログラム前半最後の曲はベームの組曲ヘ短調。チェンバロ学習者には比較的おなじみの曲だが、曲の魅力を改めて感じさせてくれる。
 15分の休憩をはさんで、後半の1曲目はスヴェーリンクの「へクサコルド・ファンタジア」。これも名人芸。続いてブクステフーデの「アリアと変奏イ短調」。無駄のない佳品。フィオッコの「クラヴサン曲集」より「ラ・プランティヴ」と「ラジテ」。この2曲で魅力的なキャラクター作品も得意とされることが判明。最後にバッハの「パルティータ第4番」。バッハの作品を弾いたり聴いたりするとバッハは異星人かと思えるほど頭脳の働きが違うと私は思ってしまうのだが、今回の演奏ではそれまでの曲で耳慣れたバロックの音楽語法とバッハの独創がバランスよく聴こえた。プログラムの妙に感心。アンコールはバッハの「平均律第2巻」からロ長調のプレリュードとフーガ。
 すばらしい演奏会だった。中川さんの演奏は、作曲法(対位法・和声法)の理解と、演奏技術に対する探究と、音楽への愛がかみあっている。独学でこれほどの演奏技術を身につけられたのは尋常ではないが、演奏スタイルからうかがえる方法論は当たり前のこと、つまり楽譜をよく読むことと、身体の使い方について熟考し試行錯誤することの積み上げであるように思った。楽譜を読むことについては、哲学の訓練を受けていることは相乗効果があると思う(私も哲学を専攻したので)。
 演奏会前の新聞記事で鍵盤に向かう時間は1日に1~2時間程度と書かれていたが、熱意と集中力があればここまでできるということは、仕事を持ちながら熱心に音楽の勉強にはげんでいる人たちにとって励みになると思う。コンサートの終了後、コンサート会場にいた私の教室の生徒さんたちから申し合わせたように「これからもっと練習したい」というメールが入ってきたのがおもしろかった。
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by detousbiens | 2015-10-12 00:20 | バロック音楽


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